死ぬ時

酷くへしゃげてもはや残骸になった車をニュースで見た。


おそらく居眠り運転だろう。それはそのまま私にも当てはまる可能性だと現実感をともなって近づいてきた。本当に死ぬ危険には気をつけなければと厳かな気持ちになる。と同時に、それでも死んでしまう時、私は何を想うだろうと考えた。


最後に何をしたいだろう。というか、誰に会いたいだろうと。


まっさきに彼に会いたいと思いついた。その後、でも本当に最後に会う人が彼でいいんだろうかと思った。一方的に私が会いたいだけで、向こうにしてみたら「は?」的な迷惑なことかもしれないしと。最後が一方的な情慕で終わるのはつらい。


1番初めにつき合った元々彼に会いたいと思った。懐かしくて泣きそうだった。でも何故もう恋愛感情も消えてる彼を選ぶのと聞かれたら、考えた後、生涯で1番私を愛してくれた人だからと答えるだろう。あんなに泥沼だったのに、こうして時が流れてしまったら、すべて意味がある深い思い出となってしまう。美化しすぎだろうとも思った。
でもたぶんあいつはこう言うだろう。あきらめたような受容した目で。「君は馬鹿だな」って。て、やっぱり美化しすぎだ。


でも私は元々彼に会いながら、彼に会いたいよと泣きつくんだろう。それでやっぱり元々彼は「君は馬鹿だな」って言うんだろう。最初っからそいつを呼べばいいだろ、馬鹿だな君は。って。 やっぱり美化しすぎだ。


その見てられないくらいぐしゃぐしゃになった車を見ながら死ぬ時のことを想像すると涙が出てきた。こんなとこで死ぬぐらいなら、もっと大切にすればよかったと想った。死にたくない、生きていたいと。彼と同じこの世界で生きているだけ幸せだって想った。